山桜の本棚

読後の感想をつぶやいています

ミニ・ミステリ傑作選 by エラリー・クィーン 

 

ミニ・ミステリ傑作選 エラリー・クィーン編 創元推理文庫

山桜の本棚にようこそおいで下さいました。

今回は、エラリー・クィーンが選んだミステリーの短編67作品が楽しめる「ミニ・ミステリ傑作選」の感想を書かせていただきました。

(翻訳者は吉田誠一、永井淳深町眞理子、中村保男の各氏、カバー写真 小高正琉、カメラ東京サービス、カバーデザイン 小倉敏夫の各氏)

 

味わいも様々な67作品。一気に読むのは惜しいので3か月ほどかけて銘酒を飲むようにチビチビと堪能いたしましたが、

 

作品の中には、文句なしに「面白い!」作品もあれば、意味がよく分からない作品もあり、「これって、どういうミステリー?」と考えこむことも何度かありまして、「解説本があればいいのに」と何度も思いました。

 

そこで、同じ思いをされた方に向けて、解説などはとてもできませんので、せめて自分なりの感想・解釈を発信してみようと、このブログを始めました。「私はこんなふうに読んだのですが…」という雑談レベルの「あくまで個人の感想です」という内容です。

 

もちろん、まだ「ミニ・ミステリ傑作選」を読んでおられない方が、このブログを目になさって「読んでみようかな」と思って下されば嬉しいかぎりです。ただネタバレを含んでいますので、どうぞご注意ください。

〈あらすじ〉は特に必要がない限り紹介していません。

ブログ中の写真はすべて「ぱくたそ」(www.pakutaso.com) さんの写真素材です。

 

 

ミニ・ミステリ傑作選

 

〈ミニントロダクション〉

編者エラリー・クィーンによる「イントロダクション」ならぬ「ミニントロダクション」。クィーンらしい「ハイ」でテンポのよい御挨拶。クィーンは躁病だったのか?と疑いたくなるほどだ(といっても、エラリー・クィーンは二人の人物の複合体だけど)。読んでいるだけで楽しい気分になれる名イントロダクションです。

 

〈最初のミニ・ミステリ〉

1.「探偵業の起源」 ニュートン・ニューカーク

アダムとイブが登場。二人の会話に現れる事件性や探偵の習性をとらえて、ひとつひとつ「最初の○○」と定義する。軽いコメディという感じ。1分で読めてしまう。聖書が生活に浸透している世界では愉しめるのかもしれないが、「傑作」といえるかは疑問。

 

〈ミニ犯罪小説 〉

 

2.「百万に一つの偶然」 サミュエル・ホプキンズ・アダムズ

バシルは、助手だった自分をクビにした化学者ゴール教授を殺害する計画を立てる。それは完璧な作戦で、実際何の支障もなく易々と実行された。バシルはついていたのだ。

 

ここで〈ネタバレ〉です。

まさに「百万に一つの偶然」が完全と思われた犯罪をブチ壊しにしてしまう。

「百万に一つ」に選ばれる幸運が、逆に人生を破滅させるという構図が出色。文章もコミカルで、内容的には凄惨なのに笑ってしまう。

 

バシルが逃走に使う予定のクーペが停めてあるガレージの戸が開いていて、「こいつは運がいい!」と心の中でつぶやくところが、その「運のよさ」をうまく引き立たせている。あまりに彼は運が良すぎた。文句なしの作品。

 

                             

3.「ハリウッド式殺人法」 スティーブ・アレン

殺人犯が自首しているのに警察に追い返される、という珍しいお話。ある男に妻を奪われ、仕事も干されたカメラマン。彼はその手腕を活かして復讐を図る。

 

ちょっとだけ〈ネタバレ〉

サブリミナルを扱っているが、この作品の舞台となっているのは1955年のハリウッド。この時代、もう既に「識域下」の効果が認知されていたことに驚く。現実にこういう犯罪が可能かどうかは別として、着想はなかなか面白い。これも本来は悲惨な内容なのだが、あくまで軽妙洒脱なノリで楽しめる。

 

 

4.「タイミングの問題」 シャーロット・アームストロング

強盗に襲われながら、そんなことより娘の帰宅時間が気になってしかたがない母親。

 

この作品はネタバレになじまない、といいますか、そもそもどこが「ミステリー」なのかよくわかりません。

 

娘が帰ったとき家に居てやらなきゃ…! その一念だけで強盗を撃退し、お巡りさんまでも退ける豪腕の主婦。確かに「犯罪」は出てくるけど、なにがキモなのか?命を狙われたというのに、ひたすら「家庭の日常」を壊すまいとばかり考えている「母」という存在の不思議さがテーマなんでしょうか?

 

 

5.「逆の事態」 フィリス・ベントレー

自分が書いた小説の舞台である〈ヒギン尖塔〉(「ヒギン・パイク」と読むらしいです)にやってきたレッドベター。彼はそこで巡回して品物を売る商人と手伝いの若い女に出会う。女の夫は失踪しているらしい。

 

ここから〈ネタバレ〉を含みます。

好奇心旺盛な男が、その好奇心のゆえに事件に巻き込まれてしまう。

 

物語が進むにつれて不気味な気配が漂い始めるところが巧い。ただ、主人公のレッドベター氏はあまりにも喋りすぎる。ほぼ自滅という気がする。

 

〈ヒギン尖塔〉について調べてみたが分からなかった。

 

6.「生きている腕輪」 ロバート・ブロック

人妻とよろしくやっていたヴィッカリイーのところへ女の亭主が訪ねてくる。もちろん復讐してやろうというわけだ。そして「亭主」は珊瑚の腕輪のようなものをヴィッカリーの足元に落とした。すると、その腕輪は動き始めた…。

 

〈ネタバレ〉はない方がよさそうなので省きます。

主人公ヴィッカリイーが人好きのする悪党で実に痛快。

実際には、こんなふうにヴィッカリーに都合よく事が運ぶと思えないが着想が見事だ。「百万に一つの偶然」の、ラッキー版といってもいいかもしれない。短編ならではの味がある作品。

 

作者は、ヒッチコックの映画「サイコ」の原作者だそうだ。「生きている腕輪」とは全然ムードが違っていますね。

 

7.「保安官、決断を下す」 ロアーク・ブラッドフォード

悪徳弁護士にだまされて、抵当に入れた農場を失いかけている元保安官ビリー伯父。彼は、あろうことか銃で弁護士を脅して抵当権解除のための受取証を書かせる。そしてビリー伯父が解除の手続きのために向かった裁判所では、通報を受けて現在の保安官であるジミーが待っていた。

 

〈ネタバレ〉というほどのネタでもありませんが、

 

ジミーは裁判所職員ミス・ネッティが抵当権解除の手続きをしている、とビリー伯父に告げる。なあんだ、保安官はビリー伯父の味方なんだ。題名が大げさな気もしますが。

 

しかし、ベリンジャー弁護士はきっと「脅迫によって受取を書かされた。抵当権の解除は無効だ」と申し立てるだろう。どちらかと言えば、この先の展開の方が気になってしまう作品。

 

8.「ウェデイング・ドレス」 ルイス・ブロムフィールド

誇り高いゼノビア・ホワイトの死。衝撃的な過去を持ち、誰も寄せ付けず、また誰も近寄ることもできないまま百歳近くにもなっていた彼女は、婚約者を失った日からずっとウェディング・ドレスをまとっていたのだろうか。

 

この作品もネタバレにはなじまないようです。

 

ゼノビアは女神のように郡の男たちに崇拝されていたようだが、格別読者の心を動かすものがないまま物語は終わってしまう。

 

ある「犯罪」もしくは「事故」が彼女の人生を変えてしまったことは分かるが、なぜゼノビアがそれほど男たちの心をとらえていたのか、どういう存在だったのかは、よく分からない。

 

9.「検死審問」 マーク・コネリー

正統派ミステリー。犯人は巧みに相手の心理を操って、「不安」を「恐怖」に変えていく。

(あらすじを紹介したいのですが、登場人物を紹介するに際して、それが差別的表現にあたる可能性がありますので割愛します)

 

このオチを決めるために、わざわざこういう設定にしたのか、と納得させられる。障がいを持つ人を差別するような内容ではないが、現代の感覚では作品の舞台設定そのものに違和感があるだろう。

 

とはいえ、結末のオチは秀逸。

 

10.「カードの対決」 トマス・B・コスティン

客船でポーカー・ゲームに興じる人々。外国映画でよく見かける光景。

そんな中、ゲーム客のアッカーズが相手のイカサマを見破る。イカサマ師に都合のよいカードが配られていたのだ。

 

そこで、その裏をかいたアッカーズだったが、イカサマ師と名指しされたマローン氏が誰も予想しなかった、どんでん返しを見せる。

マローン氏、彼こそが有名な「用心深い(ケアフル) ジョーンズ」だったのだ。

 

ここからは「蛇足」です。「ポーカーってどんなゲーム?」という方に、この作品の面白さをお伝えしたくて書いています。

 

ポーカーの役について、アッカーズが手にしていたエース4枚は「フォー・カード(同じ数字が4枚)」で、しかも札がエースだから非常に上位の役になる。「フォー・カード」のすぐ上の役が「ストレート・フラッシュ(連続する数字が5枚かつ全て同じマーク)」で、これは最上位「ロイヤル・ストレート・フラッシュ(エース、10、J、Q、Kの5枚のカードかつ同じマーク)」に次ぐ役。

 

まずゲームの参加者に5枚のカードが配られる(パターンが多い)。この作品では最初に配られたカードは4枚であるから「オハマ」というプレイスタイルかもしれない。

 

そして参加者は、よい役を作るために手持ちのカードから要らないカードを棄て、カードの山から新しいカードを引く。原則、棄てた枚数と同じ数のカードを引く。

 

一般的にポーカーは5枚のカードで勝負を行うからアッカーズは必ずカードを1枚引くはずなのだが、イカサマ師は「アッカーズがカードを引かない」場合も想定している。アッカーズの手札はフォー・カードであるから5枚目のカードにはあまり意味がないのかもしれない。ここの事情はよく分からない。

                                

多くの場合エースのフォー・カードなら非常に強い役なので、そのまま(カードを替えることなく)勝負に出るだろう。しかしアッカーズはあえて一枚のエースを棄てて、新しく2枚のカードを要求したのだ。その理由は、相手のイカサマ師が「ダイヤの7、8、9、10」のカードを持っており、新しいカードの山のてっぺんにはダイヤの「6」と「J」のカードが2枚続いて置かれていたことを看破していたからだ。

 

アッカーズがエースのフォー・カードで勝負するなら、つまり新しいカードを1枚も取らないのなら、イカサマ師はカードの山から「6」か「J」かを手にすることになる。

 

もしアッカーズが新しいカードを1枚求めた場合でも、イカサマ師は山に残った「6」か「J」かのどちらかを引くことになる。いずれの場合でもイカサマ師はダイヤの「6、7、8、9、10」もしくは「7、8、9、10、J」のストレート・フラッシュを完成させることができる。アッカーズのフォー・カードより上位だからイカサマ師の勝ちとなるわけだ。

 

ところがアッカーズが「2枚」カードを取ってしまったのだ。

                                

「これでもうイカサマはできまい。エースのスリー・カードでアッカーズの勝ちだ」と誰もが思ったとき、イカサマ師も新しいカードを1枚要求した。

 

そして、まずアッカーズのカードが表にされると、そこには「3枚のエース」とダイヤの「6」と「J」が並んでいた。さらにイカサマ師のカードを表に返すとダイヤの「7、8、9、10」が現れた。アッカーズの言った通りのイカサマが行われていたのだった。

 

そこで今しがたイカサマ師に配られた5枚目のカードも表に返された。するとそれは「ダイヤの3」だった! 同じマークが5枚そろうと「フラッシュ」という役になり、それは「スリー・カード」より上位になる。

 

つまりイカサマ師は「ダイヤのフラッシュ」を完成させ、アッカーズに勝ってしまったのだった。

 

「もしアッカーズがカードを2枚替えたなら」とイカサマ師のマローンは予想して、ちゃんと手を打っていたわけで、「特別に用心深い」とドヤ顔をしても仕方がないですね。

 

11.「牧師の汚名」 ジェイムズ・グールド・カズンズ

亡くなった牧師の弟である大佐が書店にやってきて「請求書が来たが、兄は本を注文していない」と、書店の主にクレームをつけるお話。

 

考え抜かれた構成で、思わぬストーリー展開にグイグイ引き込まれる。平凡なオチを巧みに活かした秀作。ネタバレはしない方がよさそうです。

 

大佐の口ひげが白い、とあるので相当お爺さんかと思っていたけれど、書店主のピストルをステッキで叩き落すなど動作も機敏で、なんかカッコいい。

 

12.「演説」 ロード・ダンセイニ

熱血下院議員ピーター・ミンチが、ある「演説」を行なえばヨーロッパの平和が危うくなる、と考えた某団体は「ミンチの演説は議会の中では決して行われない」と宣言する。スコットランドヤードは全力をあげてミンチの警護にあたったのだが、殺されたのはミンチの父親だった。

英国の制度を知らないと「は?」となってしまうオチ。

 

ここからはネタバレになりますが、

どうも貴族になると下院では演説ができなくなるようなのです。作者のロード・ダンセイニは「二壜のソース」で知られた存在。「二壜のソース」は世界推理短編傑作集4(創元推理文庫)に収録されています。

 

13.「隣人」 ジョン・ゴールズワージー

殺人事件は起きるものの、「ミステリー」というよりは難解な純文学、といった趣の作品。ケルト人、チュートン人、ブリトン人、…と多様な人種で構成される社会を、日本人の自分は思い描くのが難しいので、なおさら機微が分からない。

 

これも何を言いたいのか、よく分かりませんでした。したがって何が「ネタ」なのかも不明なので、ネタバレはありません。

 

それにしても、伏線はあったにしても事件は唐突感が否めないし、冒頭に登場する「霊」も(英国では精霊や妖精が日常に溶け込んでいるようだが)、何を意味するのか悩んでしまう。

 

14.「わたしの目の黒いうちは」 アントニー・ギルバート

こうるさい、自分勝手なファーレン夫人。娘の結婚相手がいつも気に入らず、娘はずっと独身のまま。「こういうオバさん、いるいる」じゃないでしょうか?

 

その既視感のせいか、文章が巧みなのか、まるでドラマを見ているように登場人物・場面が目に浮かぶ。そういえば夫人の看護婦、アンストルーザーも「いるいる」のタイプだ。

 

二人の「いるいる」が、それぞれ計略を巡らしたために事件が起きてしまう。かなりブラックな内容なのに、コミカルな印象が残る。

 

ここからネタバレです。

 

つまるところアンストルーザーが薬を入れ替えたために、自殺する気などなかったファーレン夫人は誤って睡眠剤を飲んでしまったのだから、アンストルーザーは殺人罪に問われて当然だと思うのですが。

 

15.「月の光」 W・ハイデンフェルト

いわゆる「恐ろしい告白」の形をとる作品。

若いながら大尉の制服に身をつつんだ「ぱっとしない」女性。「ぱっとしない」かもしれないが彼女は優秀な隊員だった。深い語学知識によって軍を危機から救ったのだから。そのために不似合いな「大尉」に昇進したわけだ。しかし、ちっとも嬉しくなかっただろう。

 

ここからネタバレです。

 

月は「女性(名詞)」とされることが多いが、ドイツ語では「男性」なのですね。

 

彼女のボーイ・フレンドはつい、月を「彼」と呼んでしまった。ただそれだけのことで、彼女にスパイであると見破られ絞首刑になってしまったのだ。

 

戦争は愛国心を煽り立てる。それは恋愛感情よりも激しいのだろうか。恋人を「売った」彼女は一生その傷を抱えて生きることになるだろう。

 

凝ったオチで文学作品としても通用しそうな佳作。日本語圏にいるとなかなかピンとこないオチだと思う。

16.「詐欺師カルメシン」 ジェラルド・カーシュ

痛快なピカレスク。ご高齢のようだがカルメシンが魅力的だ。パリの暖房がガスで、ガスメーターに1フラン銀貨を入れないとガスが出ない仕組みだったころのお話。

 

カルメシンは一枚の銀貨も使わずに赤々とガス・ストーブを燃やし、煌々と部屋のガス灯を輝かせたのだそうだ。それなのに集金に来たガス会社の職員がメーターのカギを開けると、中は空っぽなのだった。

 

アルセーヌ・ルパンのように茶目っ気があり、自分を「天才」と豪語するくせに、煙草の吸い殻をあつめて巻き直している、しけてはいるが憎めない悪党だ。

トリックも正統派で推理小説としても成立する好編。

 

ここから「ネタバレ」です。

 

カルメシンはガスメーターに何も入れなかったわけではなかった。銀貨と同じような硬い物体を作り出して、それを利用していたのだ。

 

氷を使ったトリックは古くから用いられてきた手段ですね。しかし偽造しなければならないのは1フラン銀貨なので、重さの点でどうなんでしょうね? なんて突っ込みはヤボというもの。

 

17.「パンべ・セラングの限界」 ラドヤード・キップリング

いわゆる「復讐譚」でありエキゾチックな作品。

地位の高い水夫であるパンべは、ナーキードという蒸気船の火夫に食事を横取りされたうえ、脚まで刺される。マレイ人のパンべは「必ず決着をつけ」ずには済ませられない。

 

ノーベル賞作家であるキップリングだが、さほどストーリーに起伏もなく手に汗握る展開でもない。ただ、悲惨な話なのだけれど、その語り口には独特のユーモアがほとばしり、読んでいて飽きない。

 

分からないのは、パンべ・セラングの限界だ。どういう「限界」なのだろう?

また「親切な紳士」の登場も唐突すぎて謎。

 

18.「豹男の話」 ジャック・ロンドン

サーカスのナイフ投げ師である短気なド・ヴィルが、尊大で粗暴な猛獣使いのウォレスに復讐する話。とはいえド・ヴィルは格別「短気」ではなく、なかなか我慢強い。

 

その復讐の手段が奇抜だ。それでサーカスを舞台に設定したのね。これなら殺人罪にはならないかもしれない。

 

「ネタバレ」です。

 

ド・ヴィルは何とウォレスの頭に嗅ぎ煙草をふりかけたのだ。

そしてサーカスの本番演技中、老いたライオンのオーガスタスはついクシャミをしてしまう。ウォレスが頭をオーガスタスの口の中に入れている時に。

 

オーガスタスは凶暴なライオンということになって処分されてしまうのでは? そう考えると、オーガスタスが気の毒だ。

 

19.「信用第一」 フィリップ・マクドナルド

スキなく構成された完成度の高い作品。賭け屋の娘に惚れ込んでしまったビンゴという青年が、その賭け屋に「頭を使って1万ドル稼いで来たら娘に求婚するのを許す」と言われ知恵を絞る。

 

やや〈ネタバレ〉

 

ダービーの勝ち馬を当てるトリックが面白い。もっとも、「これは」というレースの前日に、いちいち郵便を投函しておかなければならないが。

 

とはいえ現実に使えそうな方法でリアリティもある。品も良くて、主人公のビンゴとデボラが生き生きとしているのがいい。

 

デボラがビンゴに、必ず「わたしの天使」とか「わたしの仔羊さん」と呼びかけるのが少々うざいかも。邦題は「信用第一」だが、原題は「ロビーはかならず支払います」。

 

20.「パール・バトンはいかにして誘拐されたか」 キャサリンマンスフィールド

ひとり「箱の家」の門に座っていたパールは、「黒い女」たちに誘われてついて行く。女たちはいい匂いがして優しく、とてもパールを可愛がってくれるのだった。そしてパールに海を見せてくれる。

 

一読した時は「どこがミステリー?」と思ったが、これ「誘拐」なので犯罪小説になるわけだ。こんなに爽やかな気持ちのいい「犯罪」があったとは。

 

子どもの目から見ると「誘拐」さえも、キラキラ輝く新しい世界への招待であり、わくわくする体験なのだなあ、と何か「目からウロコ」の状態になった。

 

きっとパールは金髪巻き毛の、人形のように可愛い女の子なのだろう。そして相当に高い値がつく商品なのだ。パールの無邪気さと人身売買という現実の落差。

 

どちらかといえば純文学作品のようであり、「ミステリー」のつもりで執筆されたのかどうかは不明。子どもの目線で描いたところが、この作品を並ぶものがない宝石のような逸品にしている。

「箱の家」って何だろう? アパートとかマンションのような集合住宅のことだろうか

 

21.「最善の策」フェレンツ・モルナール

さる銀行の頭取宛てに「某支店の出納係フロリオが公金を着服している」というタレコミが入る。さっそく本店から調査が入るが、何の不正も見つからない。しかし、ひと月も経たないうちに再び同じようなタレコミが入って、頭取は振り回されてしまう。そして出納係フロリオ氏が辞職を申し出てくる…

 

〈ネタバレ〉と言っていいのかどうか

フロリオ氏の大博打がまんまと成功するのだが、あんまりスカッともしない。というのも計算通りに頭取や本店重役が動いてくれるとは限らないし、。辞表もあっさり受理されるかもしれないからだ。

 

とはいえ考え抜かれた構成。何より「悪いことしちゃったなぁ」という人間心理を巧みに活かしたところが上手い。これも一種のピカレスクかも。

 

22.「殺すか殺されるか」 オグデン・ナッシュ

「誰かが自分を殺そうとしている」ことを確信したブランダ―・ギリス弁護士。

もはや「殺すか殺されるか」だと悟った彼は、さすが弁護士〈完全犯罪〉を思いつく。

 

ギリス弁護士に対する、皮肉にみちた描写が面白い。これで弁護士が誰からも愛されていないことが分かる。「バージャー」という執事で運転手を兼ねる男が、ドア・マットも兼ねていたというのが、もはや「面白い」を超えて怖い。弁護士に踏まれて靴の裏を拭かれていたのだろうか?

 

ここから〈ネタバレ〉です。

 

ラストも怖い。弁護士はその時、心の中で「完全犯罪を夢見」ていたのだ。そして「なにか忘れているような気がする」と思った瞬間、その心中を読み取った声が背後から聞こえてくる。つまり弁護士の夢想した〈完全犯罪〉を相手は完璧に見通しているわけだ。

きっと今からそれを実行するのだろう。ひえー。

 

23.「スタジアムに死す」 ロバート・ネイサン

偉大な俳優プリンシパスが公衆の面前で死ぬことを決意し、その臨終の場として選ばれたスタジアムに観衆が押し寄せる、というお話。

 

これは何かのパロディなのか、あるいは皮肉なのか、よく分からなかったが、少なくとも社会への風刺であることは間違いなさそうだ。

 

「きみたちアメリカ人は」とステレオタイプアメリカを批判するイギリス人、次々に卒倒する女性、「死」を見世物として消費する大衆、などなど、集団ヒステリーのような状景が描かれている。

 

なぜか中井英夫の「虚無への供物」を思い出した。殺人事件をあれやこれやと掘り返し、いじくりまわす探偵や登場人物、そしてそれを面白がる読者、つまりミステリー・ファンたちの不謹慎さを批判したアンチ・ミステリーだが、読後感が似ている気がする。

 

24.「良心」 エルマー・ライス

「よくも私をモデルに小説を書いたな!」とあちこちで恨まれ、あぜんとする作家。

 

人間の自意識は妙に過剰に尖ることがある。特に「やましさ」を抱えている時には。その「やましさ」が他者に向かって、「とんでもない言いがかり」になっていく人間心理の恐ろしさ。

同時に「やましさ」は「良心」が(たとえ、ひとかけらでも)あるからこそだ、という真実もこの作品は語っている。

 

ここから〈ネタバレ〉です。

 

主人公は小説のネタに困って「リア王」のプロットを盗んだのだった。「リア王」は、3人の娘を持つ王が、美辞麗句を並べたてて自分に取り入る姉二人に財産を与え、おべっかを使わなかった末娘を追放してしまう、というお話。

 

表面的にはキレイごとを言っていても、中に入れば家族の確執や財産争いが渦巻いている家庭が少なくない、というのは万国共通、時代を超えた現実のようだ。

 

25.「真実の物語」 ディラン・トーマス

眼の不自由な、寝たきりらしい老女を介護しているマーサ。男の眼を吸いつけるような成熟した肉体を持ち、黒いドレスや華やかな帽子に憧れる二十歳の女。けれど彼女は文無しで、介護をして老女から金をもらわなければ生きて行けない。

 

自分はいろいろな本を読んでいて他のどんな娘よりも賢いはずなのに、老女の下の世話に明け暮れている。その老女はといえば、盲目で身動きもできない、葬り去ることなど余りにもたやすい存在だった。

 

〈ネタバレ〉と言っていいのかどうか、分かりりませんが

 

起こるべくして起きた惨劇と作者は言いたいのだろうな、と思う。

 

マーサの狂気、で片づける気になれない作品。なぜなら、陰湿な虐待を受け続けている高齢者が世の中にはたくさんいるからだ。その現実自体、マーサと紙一重の狂気なのだから。

 

26.「Rien Ne Va Plus」 アレグザンダー・ウールコット

モンテ・カルロではカジノでスッた客の自殺が相次いだために、カジノ側は警察に通報される前に自殺者のポケットに札束をねじ込んで、あたかも「世界苦」から世をはかなんだふうに見せかける工作をおこなっていた、というお話。

 

「すんごい無理がある設定!」

これだけでも笑えるのだが、細部も笑いを誘う仕掛けがちりばめられている。

 

たとえばカジノの「特別室」でゲームをしている「顔色の悪い老人」は「縁飾りのついた鼠色の絹の手袋」をはめている。彼は若い頃遊びすぎて母親に「2度とカードにもチップにも手を触れない」と誓ったのだった。その誓いを守って手袋をしているわけ。

 

無理な設定をしているだけにオチは容易に想像がつくとおりの内容だが、モンテ・カルロの雑然としながらも陽気な空気感が楽しめる作品。

 

表題の「Rien Ne Va Plus」は「賭けはしめきり」という合図だそうだ。

 

 

〈ミニ・ミステリ 超自然などなど〉

 

27.「婚礼の池」 ゾーナ・ゲイル

「自分は妻を殺した」と法廷で告白したジェンス。彼が妻と結婚したのは37年前だ。結婚生活はまだこの先20年も続くかもしれない…。そんな彼は、新婚の男女を乗せた車が池につっこむ幻影に襲われる。

 

〈ネタバレ〉です。

 

その暗示的な幻影のイメージが意味するところを読み解く愉しみが与えられるのだろう、と期待しながら読んだが、モヤモヤとしたまま終わってしまった。

 

サン・プレイリーの新婚夫婦に触発されてジェンス・ジェヴィンズが抱いた幻想が、実在するカップルの車に作用してしまったのか? それとも事故を起こした車と眠っていたジェヴィンズとが感応したのか?

 

作品の設定は「超自然」な、理屈で割り切れない幻想性や不気味さが漂っているのだが、それが活きていないような気もするし、自分が全く読めていないだけという気もするし、すっきりしない読後感ではありました。

 

28.「壁の中へ」 ヴィクター・カニング

これも計算された完璧な構成で、上等のワインを味わったあとのような満足感がある。

 

多くの人々が行き交うロンドンの街。相手を知り尽くそうとはせず、「親しい顔見知り」という関係を続けようとする都会人たち。

「ロンドンの雑踏」。その語感だけでもシャーロッキアンの私はワクワクしてしまう。

 

ここで〈ネタバレ〉です。

都会には得体のしれない亡霊のような存在が大勢まぎれこんでいる、というファンタジーというか、ミステリーというか、SFというか。ブラッドベリの「群集」をふと思い出した。都会の雑踏、誰でもない群集、そういう希薄な関係性がこうした傾向の作品を生み出すのかもしれない。

 

ラストの部分で、壁に消えたフィングルトンを見失った「わたし」とヘイヴァ―ストックに会話をさせないで終わらせたところが巧い。

 

しいて言えば、歴史に強いキャラクターはヘイヴァ―ストックではなく、フィングルトンにした方がよかったのでは。なぜなら、フィングルトンは何世紀もロンドンを漂っている霊かもしれないから。

 

29.「青ペンキの謎」 アンナ・カサリン・グリーン

ペンキの塗り替えをたのまれたハーディ氏は従業員を依頼主の家に派遣する。ところが従業員たちは大失策をやらかしてしまう。

 

作者は、「世界推理短編傑作集1」(江戸川乱歩編 創元推理文庫)に「医者とその妻と時計」という作品が採用されている女流作家。

 

しかし、その作風とはガラリと変わったこの作品。この「謎」についてラストのところで作者があれこれ説明しているが、「それミステリーなんですか?」 と言いたくなる内容。

 

30.「幽霊屋敷」 オリヴァー・ラ・ファージ

愛するスウが殺されたと知って自死しようと海に出たジョージ。だが船は難破し、彼は船の残骸とともに浜に打ち上げられる。

 

荒れた海、遭難した男、幽霊屋敷と呼ばれる館、ーこれはホラー小説か?と思っていると全然違った。

 

作品全体に漂う「奇妙さ」、何か引っかかるような不可解さ、に戸惑いながらも、その底には温かいものが流れているのを感じる。それぞれの、スウに対する深い愛、またジョージとヘイル夫人の間にある親愛の情、彼らの幸福な思い出‥‥、それらが読者の心に不思議に沁みてくる。

 

これまで読んだことがない味わいの作品。ミステリーかと言われると考え込んでしまうが、どこか内田百閒の「とおぼえ」を思い出させる。

 

31.「ある老人の死」 アーサー・ミラー

自殺未遂をした老人が、見習い警官のミスで精神病院に送られそうになる。「それだけは勘弁してくれ」と老人は警官に懇願し、「二度と自殺騒ぎを起こさない」という約束で釈放される。そして10年が経ち、再び警官は老人のもとを訪ねることになる。

 

これも「恐ろしい告白」に分類される話かもしれない。「自ら死ぬ自由」を奪われた男の話ととるか、「生殺しの生活を、警官への義理のために耐え抜いた」美談ととるか、受け取り方が分かれる作品だと思う。

 

ここから〈ネタバレ〉です。

 

この作品を読んで、まず驚いたのは「自殺したら逮捕されるの⁉」ということ。

どうも語り手の警官が若気のいたりでミスをした結果らしいが、自殺未遂をした老人は、どんなに辛くても自殺出来ない立場に追い込まれてしまったらしい。

 

アメリカの法律を知らないので何も言えないが、かなり無理のある設定に思えて楽しめなかった。

 

アーサー・ミラーは「セールスマンの死」で有名な劇作家。マリリン・モンローと結婚していた時期もある。

 

32.「ダヴ・ダルセットの明察」 クリストファー・モーリィ

文学探偵 ダヴ・ダルセット。「文学探偵」って、文学を探る学者なのでしょうか?

 

彼が列車の中で出会う「13」や「49」という数字に妙にこだわる男たち。「廃馬屠殺人」と呼ばれかねない人相風体のようだが、言葉遣いは紳士的でとことん陽気。実に「儀式」が愉しそう。

 

アメリカ合衆国国璽は、鷲が13枚の葉をつけたオリーヴと13本の矢を脚でつかんでいる、というもの。ダヴ・ダルセットはその日、国務省でいやというほど国璽を眺めていたので、男たちの儀式の意味がピンときたわけですね。さぞかし株でもうけたことでしょう。

 

明るい気分になる作品。

 

33.「開かれた窓」 サキ (H・H・マンロー)

静養のため草深い土地に移り住んだフラムトン。顔つなぎと神経療法の一環として、その地の住人を訪問しているのだが、その一軒の家で彼は女主人の15歳の姪から、女主人の夫と実弟ふたりが猟に出たまま3年の間、戻らないという話を聴く。女主人は今も夫たちが帰ってくると信じていて窓を開け放ったままにしているという。そのうち夕闇が濃くなる中、三つの人影が開かれた窓に近づいてきた。

 

エドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」で、死んだ妹が階段を一段一段上がって自分たちのいる部屋にやってくる、その「こわさ」とどこか似ているような気がする。とはいえ何よりこわいのは、この15歳の少女だ。

 

ここで〈ネタバレ〉です。

 

そろそろ猟に出かけたおじたちが帰ってくる、というタイミングを見計らって、少女は即席の物語を創作してフラムトンに聴かせたのだった。

 

スラスラと鮮やかに話をでっちあげてしまう人は確かにいる。あまりに精巧に創られているので誰もがそれを信じてしまう。私の従姉がそうだった。しかし、そういう能力があるからといって、怪奇幻想小説が書けるかと言うとそうでもないようで。正直なところ周囲は大いに迷惑するのでした。

 



ミニ・クラシック

 

34.「絶妙な弁護」  作者不詳

旅館の主人にお金を預けた3人の男たちは、必ず3人が揃っているときにお金を返すよう主人と約束する。もし約束を違えたら主人が責任をとることになっていた。その約束をして男たちが旅館を出て行った直後に3人のうちの一人が戻ってきて「3人で考え直した結果すぐ買い取りをすることになった。ほかの2人に頼まれたので金を返してくれ」と話したので、旅館の主人はその男にお金を渡してしまった。

 

よくある詐欺のお話。現代でも、ひっかかる手口だろう。

被害者に同情した、ややお節介なヴォーン弁護士が裁判の弁護を買って出る。

 

〈ネタバレ〉です。

 

ヴォーン弁護士は、「3人の男がそろって出頭すれば、3人にお金を支払います」と主張した。もちろん逃げた男が姿を見せることはなく、旅館の主人は支払いを免れた、という結末。

 

裁判の論点は「旅館の主人に支払う責任があるかどうか」のはずだから、弁護としてその支払い方法に条件をつけたって全然「絶妙な」弁護じゃないんですけど、と突っ込みたくなるが、それが通ってしまうところがご愛嬌というところ。

 

この作品、誰が書いたんでしょうね?

 

35.「サンチョ・パンサの名探偵ぶり」 ミゲル・デ・セルヴァンテス

10クラウン貸したという男と、お金はもう返したという男をサンチョ・パンサが裁く。借りた男は自分の杖を貸主に預け、サンチョの裁き棒についている十字架を握りしめて「金はその男の手に返した」と誓言する。

 

〈ネタバレ〉といっていいのか分かりませんが、

金を借りた男が持っていた杖を、サンチョは貸した方の男に与えて「そちはもう借金を返してもらった」と言う。驚き当惑する貸主。そこでサンチョが杖を裂くように命じると中から10クラウン金貨が出てきたのだった。

 

おそらく十字架を握って誓言をする間は「嘘を言ってはならない」とされており、借金を踏み倒そうとした男もさすがに神様の御前では嘘がつけなかったのだろう。

 

それで10クラウン金貨を隠した自分の杖を、誓言の間だけ貸主の男に預けたわけだ。つまり誓言のあいだは、嘘はついていないということになる。それをサンチョ閣下は見抜いたというお話。

 

ところで、作者は「ドン・キホーテ」のセルヴァンテス。ということは、この「知事閣下」は、ドン・キホーテの従者だった、あのサンチョ・パンサなのか? どうしてそんなに出世したの⁉

 

36.「子守歌」 アントン・チェーホフ

ミステリーではないけれど、とても恐ろしい話だ。

下働きの少女ヴァ―リカは夜泣きする赤ん坊の子守りで一睡もできない。そんな彼女を24時間こき使う雇い主の靴屋

 

アニメの「ロミオの青い空」を思い出した。かつてヨーロッパでは、売り飛ばされた少年少女が親方や雇い主に劣悪な条件で働かされていた。

結核などの病で命を落とす者も少なくなかったようだが、ヴァ―リカみたいに寝かせてもらえないのでは病気にもなるだろう。彼らは使い捨ての労働力でしかなかったのだ。

 

〈ネタバレ〉です。

 

とうとう正常な判断ができなくなったヴァ―リカは靴屋夫婦の赤ん坊を絞め殺してしまう。そしてやっと眠ることができたのだった。

 

このあと彼女を社会が制裁することになるのだろう。それを思うと全くやりきれない。

 

ぬかるみの幻想、背負い袋を持った人々は「眠り」を象徴しているのだろうか。人々は五体投地のように泥の中に身を投げ出して眠る。「泥」は、意識もないような深い眠りを連想させる。

しかし現代でも、眠らせてもらえない人はいる。つまり、眠らせない奴らがいるのだ。

 

37.「手袋」 チャールズ・ディケンズ

ウィールド警部という人の思い出話。「手袋」は殺人事件の証拠物件であり、警部はその持ち主を探していた。そして苦労の末やっと持ち主が見つかったところで、この話は唐突に終わってしまう。「は?」としか言えない。

 

「伯爵夫人」とあだ名されていたエリザベス・グリムウッドのような女性が、なぜ自分の枕の下に汚れた手袋をしまい込んだのか、そこも分からない。

 

〈ネタバレ〉の「ネタ」すらもないので困ってしまうんですが。ディケンズさん。

 

38.「ナイフの男」 アレクサンドル・デュマ

「ナイフの男」とあだ名されるボウ・アカスは旅中、脚の不自由な男にせがまれ彼を馬にのせて街まで運んでやる。目的地に着いても男は馬から降りようとせず、それどころか「この馬は自分のものだ」と言い出す。そこでボウ・アカスは裁判に訴えた。

 

ここから〈ネタバレ〉です。

 

裁判官カーディは、ボウ・アカスと脚の不自由な男に「馬が見分けられるか」と問いかけ、二人に馬を選ばせる。しかしカーディが見たかったのは馬の方だった。

まるで大岡越前のような裁判官カーディの裁きが楽しめる逸品。

 

ただ、作品のポイントは、その名裁きにあるはずなのに、ボウ・アカスについての説明(賛美というべきか)が長い。ボウ・アカスが何か英雄的な行為をしてくれるのかと期待していたら、むしろペテンにかけられて窮地に立たされるのだった。それなら前半で、あんなに褒めなくても…。

 

とはいうものの、素晴らしい発想で論理的に事件を解決するカーディが見事だ。やはり洋の東西を問わず、こうした「名裁き」は人気があるらしい。

この作品が大デュマのものなのか小デュマのものなのか、残念ながら分かりませんでした。



39.「復讐」 ギイ・ド・モーパッサン

息子を殺された老母と愛犬だった牝犬が仇をうつお話。

強い母。忠実な犬。どちらも女性だ。女はいざとなると強い。とんでもなく強い。

 

社会では弱者として扱われる存在の女たちが大の男を倒す。それを痛快に感じる女性読者も多いのではないだろうか。母の執念が心を打つ。

 

40.「正義の費用」 ギイ・ド・モーパッサン

前出の「復讐」とはガラリと異なる、諧謔に満ちた作品。ギャンブルを国の財源としているモナド王国で殺人事件が起きてしまう。

きわめて平和だったモナドでは、罪人を処刑するギロチンも持っておらず、他国からレンタルすると高くつく。そこで処刑をやめて終身刑に変更。しかしモナドには刑務所もないのだった…。囚人をもてあます重臣たちのうろたえぶりが可愛い。

 

犯罪もなく刑務所も必要ないなんて楽園のような国だ。それなのに、なんでモーパッサンは、ここまで「モナド王国」をコケにするのだろう? 何かモナコに恨みでも?

 

41.「わたしの懐中時計」 マーク・トゥエイン

時計が狂うと困る。「狂う」といっても様々な狂い方があるが、それらが実にこまかく指摘されていて、それによって人間がどのように振り回されるかユーモアたっぷりに語られている。

これでもか、これでもか、とばかりに畳みかけるマーク・トゥエインならではのマシンガンのようなジョーク。この文体はどこかで北杜夫さんに受け継がれているような気もする。

最後の時計屋は「わたし」に「脳天を叩き割」られてしまう。いやはや。「トム・ソーヤ」もびっくり⁉

 

42.「犬と馬」 ヴォルテール

観察眼を磨きすぎたためにエライ目に遭う哲学者ザディッグのお話。

彼の推理は整然として論理的。まるで、その場で見ていたかのように事実を言い当てる。

 

ところで、このヴォルテールは、あの学校で習った哲学者?

そうだとすれば、すでに18世紀に科学的知識に基づいた分析・推理が作品として登場していたことになる。ポーのデュパンよりずっと以前だ。ヴォルテールの意外な一面を見た気分(この作品の作者が、哲学者のヴォルテールかどうかは不明ですが)。

 

冒頭で「結婚」(およびその失敗)について語られているけれど、本編にはあまり関係がない。もしかしてヴォルテールさん、苦い思い出でもあるのでしょうか?

 

〈ミニ・シャーロッキアーナ〉

 

43.「これ以上短縮できない探偵小説、または、髪の毛一本が運命の分かれ目、または、超ミニ殺人ミステリ」 スティーヴン・リーコック

あまりに短編すぎて筋書きを書いたらそれで終わってしまいそうなので、あらすじは割愛いたします。

 

これは、髪の薄い人が読んだら怒るのではないか。

このオチで笑う人がいるのかなあ。

 

44.「パラドール・チェンバーの怪事件」 ジョン・ディクスン・カー

バッキンガム宮殿、女王の部屋から紳士用のズボンがひらひら降ってくる、というあたり、何だか吉本新喜劇っぽい「笑い」を予感させる。そして、まさにドタバタが繰り広げられるのだった。

 

作者ディクスン・カーは、カーター・ディクスンというペンネームでも知られ、

「世界推理短編傑作集5」(江戸川乱歩編 創元推理文庫)に、いばっているくせにドジで憎めないオジさん、ヘンリ・メリヴェール卿が登場する「妖魔の森の家」が収録されている。

 

45.「アダムとイヴ失踪事件」  医学博士 ローガン・クレンデニング

この文庫本の帯には「まずは1分で読める『アダムとイヴ失踪事件』からどうぞ!」と書かれている。それに従うと確かに1分かからずに読み終えた。

 

やはりシャーロック・ホームズのパロディもの。超短編にもかかわらずオチが効いていて佳作。原題は「The Case of the Missing Patriarchs」。「Patriarch(族長)」は、旧約聖書に登場するヘブライ人の始祖のこと。

「始祖」つまり「アダムとイヴ」なのでしょう。

 

また、作者は自分の名に、わざわざ「医学博士(Doctor of Medecine)」と肩書をつけているようだが、これもドイルの「緋色の研究」の冒頭に「第一部 元陸軍軍医 医学博士 ジョン・H・ワトスンの回想録再刻」とあるのを意識しているらしく思える。

 

46.「探偵の正体」 マーガレット・ノリス

ホームズもののパロディの中でも、よく知られた作品。

モリアティ教授やレストレードなど、ホームズ作品でおなじみの登場人物たちが顔を出すのが嬉しい。

 

ここから〈ネタバレ〉です。

ホームズもワトスンもモリアティも、みんな「生まれ変わっている」という設定がされている(本文では「再生」と表現されているが)。レストレードは相変わらず警官なのだが、気の毒にも警部だったのが降格されている。

 

ホームズが「女性」に、ワトスンが「犬(コリー)」に「再生」されているのが、何ともそれぞれの性格を突いていて出色。

 

原題は「アイデンティティの事件」であるが、本編では「アイデンティティ」が「正体」と訳されている。

 

〈ミニ・探偵(デテクション)〉

 

47.「見えないドア」 マージェリー・アリンガム

クラブで男が殺された。犯人がマートンであることは明らかなのだが、その姿を見た者はいない。

玄関番は勤続40年のバウザー老人で、「みんなの顔を知っていて、ぜったいに間違えない」と評判の名物男だ。彼は、マートンは来なかったと主張する。クラブを訪れたのは被害者と足が不自由なチェッテイの二人だけだ、と。

 

ここから〈ネタバレ〉です。

バウザー老人は、本当にマートンを見ていないのだった。そして、チェッテイのことも見ていなかった。なぜなら、見えなかったから。

背負い投げで「一本」取られたような鮮やかな結末。作者は、日常にまぎれこんで見過ごされがちな盲点を衝くのが巧い作家だ。

 

素人探偵アルバート・キャンピオンの最後の台詞は「私のしみひとつないエレガントな白い服が、汗だくで駆けずり回る刑事の服に見えますか?」と言っているようだ。

 

48.「消えた暖房炉」 エリック・アンブラ―

資産家のファロン夫人の死体が打ち上げられ事故死とされた。その「事故」に関する新聞の切り抜きを持ってスコットランドヤードに乗り込んできたヤン・チサール博士。

 

分厚い眼鏡の奥には雌牛のような目、という何だか可愛らしい容貌の博士だが、その外見とはうらはらに、強引に「事故」についての自説を語る。そしてヤードの「事故死」という見解が「謀殺」へと変化していくのだった。

 

暖房炉が消えていた、という事実が唐突に持ちだされたり、ピンチベック・ロケットが何を意味しているのか分かりにくかったりと、やや筆が足りない印象を持った。

というか、中編くらいの長さで、もっと丁寧に犯罪事実と偽装工作について描けば、本格推理小説になったのではないかと思う。

原題は「ピンチベック・ロケットの事件」。

 

49.「イニシャル入り殺人」 ローレンス・G・ブロックマン

「妻が殺されている」という友人からの電話で、現場である友人の家に駆けつけたワイルダー部長刑事。そして彼はそこで真実を見抜く。

 

超短編なのでネタバレは割愛します。緻密な構成でテンポよく物語が展開していく、超短編のお手本のような作品。謎解きもシンプルで見事などんでん返しを見せてくれる。

 

オチそのものは、よく目にするパターンですが、この作品では効いています。

 

50.「火星の犯罪」 アーサー・C・クラーク

火星の博物館から、その最大の宝物である「シレネの女神」を盗もうとした泥棒は、自分が子午線の町にいることを失念していたおかげで泡を喰う羽目になる。

 

〈ネタバレ〉です。

地球上では日付変更線は海上に引かれているから、こちらの町と隣の町で日付が違うことはありえない。が、海のない火星では事情が変わってくる、ということに着目した作品。地球的な思考から飛び出したスケールの大きな発想。が、起こった犯罪はしけている。

よくまあ、そんなことを思いついて、しかも犯罪小説に仕立て上げたものだ。それだけでもアッパレというもの。最後に、オリーヴ色の膚を持つマッカー氏の正体が見えてくる、というオマケつき。

 

51.「ペントハウスの殺人」 ジョージ・ハーモン・コックス

よく練られたプロットで、短編ながらまるでドラマを観ているような時間を過ごすことができる秀作。

 

完全無欠の犯罪計画、のはずなのだ。犯人にとっては、いつでも。

けれど、ちょっとした偶然が「完全」をぶち壊す。そして、深刻な悲劇が一転して、喜劇に変わるのだ。

 

仕事のパートナーだったコードウェルを貧困のどん底に陥れたヴァンスは、さらに絶望の果てにコードウェルが自殺したかのように偽装し、殺人を実行する。完璧なアリバイを用意したうえヴァンスはコードウェルの胸に銃弾を撃ち込んだ。

 

〈ネタバレ〉です。

想定外の偶然がヴァンスの計画を完全に損なってしまう。そればかりか、鉄壁のはずのアリバイ工作も水泡に帰してしまうのだ。

ヴァンスはまったくツイてない。いや殺人犯にならずに済んだのだからツイてるのか。

原題は「The Simplicity of the Act」。

 

52.「川べりの犯罪」 エドマンド・クリスピン

州警察長の自宅がある川べり、その対岸で若い女が殺害される。彼女は身ごもっていた。捜査に訪れた警視はわずかな手掛かりで真犯人を見抜く。

 

ミステリーというよりは文芸小説を読んでいるよう。さらに言えば、モノトーンに近い色調のヨーロッパ映画の一場面を観ているような情趣のある作品。

 

ここから〈ネタバレ〉です。

「編者注」がついていて「ここまでの部分で真犯人を知る手がかりは与えられている」と「読者への挑戦」みたいなことが書かれているのだが、「とうとう馬を買ったんだな?」というセリフだけでは犯人を特定するのは難しい。原文でしか伝わらないようなニュアンスがあるのかもしれないが。

 

これまで苦労を共にしてきた、もはや希望を失くしている州警察長と退職間近の警視が、互いを思い合う関係性が妙に胸に残る。定年ということは警視の方が年長なのだろうか。州警察長は若い女を孕ませているようだし。

 

53.「殺人のメニュー」 C・P・ドンネル Jr.

マダム・シャロンの描写が何とも色っぽく、さらには克明な注釈がたっぷりついたフランス料理のメニューが、これまた美味しそうなこと!

 

結末もロマンチックというか「そんなことになるか⁈」と言いたくなるハッピーエンドで、読了後になぜか満腹感を覚える作品。濃厚な味わい、とでも言いますか。

この作品にはネタバレはない方がよさそうです。


54.「ダウンシャーの恐怖」 アンドルー・ガーヴ

ドンチェスターの自動車学校教官の車が何者かに傷つけられたのを皮切りに、ダウンシャー州のあちこちで殺人事件が繰り広げられる。そして犯人は「だうんしゃーノすぴーどキョウドモメ!」といった紙片を必ず現場に残しているのだった。

 

ここで〈ネタバレ〉です。

どうも犯人は交通マナーの悪さを怒っているらしい。殺害された被害者はいずれも、信号無視やスピード違反、飲酒運転などをやらかしていたのを犯人に指摘されているのだった。

この、犯人が残していった紙片の文句が「だうんしゃー」だの「どんちぇすたー」だので笑える。作品ではこれについて「犯人のものらしい仮名書きの文章」と説明しているのだが、英語の「仮名書き」って?

 

ともあれ、この連続殺人事件によってダウンシャーの交通事故による死傷者数が激減した、というオチがついているのがイギリスらしい。

 

55.「ティー・ショップの暗殺者」 マイケル・ギルバート

事件記者の〈わたし〉はティー・ショップでヘイズラーリッグ警視と出会う。彼は、エンゲルスというプロの暗殺者がこの店内にいる、と言う。さて、どの客が犯人なのか。〈わたし〉の観察が始まる。

 

牧師タイプの男、あごひげの男、短髪痩身の男、空軍スタイルの口髭男など、犯人らしくなかったり、いかにも胡散臭かったり、の男たちが描写され、しだいに緊迫感が増してきてワクワクする展開。

 

では〈ネタバレ〉です。

結論を言ってしまうと「アクロイド」です。すみませんが、これでご理解ください。オチを言ってしまうと、まだ読んでいない方はもう読む気にならない気がしますので。と言いながら「アクロイド」と言ってしまいましたが。

 

個人的には「アクロイド」ってどうよ? と思うのですが、こういう短編であれば洒落た作品になりうるなぁ、とも感じました。

 

56.「シカゴの夜」 ベン・ヘクト

「あんたが欲しがるような話ねぇ」と頭を抱えながら、新聞記者と向き合っている部長刑事。「とっさには思いつけんよ」と言いながら、その口から出てくるのはトンデモない事件ばかり。

 

部長刑事は複数のエピソードを披露するので、どう〈ネタバレ〉すればいいのか悩みます。それに想像を超えるネタばっかりなので〈ネタバレ〉しちゃうと愉しさが消えそうで、〈ネタバレ〉は見送らせていただきます。

 

それでもまだ「こんな事件じゃ記者は納得しないだろうな」と思っている部長刑事が面白すぎる。「いったい、どれだけ在庫があるんですか⁉」と言いたくなる、珍エピソードの宝庫のような部長刑事なのでした。

 

作者は「十五人の殺人者たち」(世界推理短編傑作集 5 創元推理文庫収録)のベン・ヘクト。まったく独特の切り口から構成される彼の作品は、どこか不思議で温かい。そして何より、そのユーモアのセンスが最高。

 

57.「二十年後」 O・ヘンリー

20年後に会う約束をした二人の男。そして、とうとうその日がやってきた。彼らはうまく会えるのだろうか。

 

これも〈ネタバレ〉しない方がよさそうです。

 

O・ヘンリーは言わずと知れた「短編の名手」ですが、その作品にはいつも苦味がありますね。この「二十年後」もほろ苦い。

そして、苦味だけでなく温かさが底に流れているのもO・ヘンリーの持ち味。

苦さも温かさも、どちらも人生そのものでしょう。だからこそO・ヘンリーは「名手」なのでしょうね。

 

58.「アプルビイ警部最初の事件」 マイケル・イネス

14歳の少年だった頃、ロンドン警視庁副総監アプルビィは画廊で赤いひげの男に出会う。ところがその「ひげ」は「付けひげ」だった。もちろんアプルビィ少年は、その男の正体を見抜く…。

 

ここで〈ネタバレ〉です。

実は、その怪しい男はワザとアプルビィ少年の前で「付けひげ」を落としたのだった。アプルビィ少年は、逆に犯人によって計画的に事件に巻き込まれていたのだ。

 

短編ながらきちんとトリックがあり、プロットにも起伏があって面白いのだが、最後の最後にあるどんでん返しが余りにサラリとしすぎている。アプルビィ少年が、どんなふうに「抵抗」したのか知りたいところだった。

 

緊張と興奮のあまり「あいつをつかまえろ!」と言うべきところを「あいつがつかまえろ!」と叫んでしまったアプルビィ少年が可愛い。

 

59.「殺人のにおい」 ロックリッジ夫妻

連続殺人犯を追うヘイムリッチ警部とフォーニス部長刑事。その追跡の最中に通報が入る。現場に駆けつけると妻を殺された男がいた。

 

〈ネタバレ〉です。

夫は菜園でトマトの支柱を立てていた、と話す。実はヘイムリッチ警部、トマトの栽培に詳しかった。警部は菜園に出かけていく。そしてトマトの「におい」を確かめて戻って来る。警部が家庭菜園をしていなかったら解決しなかった事件。

 

冒頭、連続殺人犯の人物描写や被害者についての説明がそれなりに詳しくされているので、殺人犯が主役かと思ったら、そうではなかった。従って作品の構成としては、頭が少々重い印象。



60.「ビーグルの鼻」 アーサー・ポージズ

崖っぷちに立ち、じっとハヤブサやハリエニシダに見入る老人。彼は「教育のあるお方」として知られていた。

町で殺人事件が起き、犯人は分かっているのだが証拠がない。困り果てた警官は老人に助けを求める。

 

このお話もネタバレをしてしまうと、それで終わってしまいますのでやめておきます。

前話に続いて「におい」ネタです。何と、この、ただならぬ老人は血のついた凶器とシャツの匂いを嗅いで事件を解決してしまう。そして、その正体に納得。

 

61.「角砂糖」 エラリー・クイーン

早朝、酒場のオープン・テラスで暗黒街のならず者、シェイクス・クーニ―が殺された。騎馬警官のウィルキンズは早速3人の容疑者を引っ立てる。

 

もちろん事件の担当はニューヨーク警察本部のリチャード・クイーン警視だ。3人の容疑者はいずれも要人で、下手な捜査はできない。エラリーが呼ばれ、警視はクーニ―が角砂糖を握りしめていたことを伝える。

 

クイーンの、なめらかな冗舌が心地よい作品。この軽躁病的なテンポの良い展開は、ピアノの名手がアンコールに応えて弾いたスケルッツオのようだ。

 

これもネタバレは難しいので「アクロイド的」とだけ申し上げておきましょう。いや、すでにバラしちゃってるって。すみません。ま、カンの鋭い人は題名だけでピンと来るのではないでしょうか。

 

62.「土曜の夜の殺人」 パトリック・クェンティン

ベントン医師の診療所を訪れたトラントは、入り口で金髪美人と一緒になる。彼女はその日最後の患者だった。トラントとベントン医師は診療が終わりしだい、医師の妻ドリーと落ち合ってベントン家で夕食を共にする予定になっていた。

金髪美人の診察も終わり、ベントンが帰りじたくをしていると電話が鳴る。妻のドリーからだった。しかし、それから間もなくドリーは映画館の駐車場で死体となって発見される。

 

〈ネタバレ〉です

トリックはよく考えられており、うまくまとまっている作品。とはいえ、あまり現実的でない部分もあって、そういうところが作品の説得力を弱めている。例えばドリーを、死なない程度に頭を殴って気絶させたうえ、車に2、3時間放置していた(それも公共の駐車場に)という設定などは苦しい。従って犯人もすぐに目星がついてしまう。

 

63.「馬をのみこんだ男」 クレイグ・ライス

ダック氏は「馬をのみこんだ」と思い込んでいた。

そのダック氏が精神科医による手術を受けた直後、ショック死した。刑事弁護士マローンは、これは殺人だと主張する。

 

これも〈ネタバレ〉をすると、それで終わってしまうので割愛します。

「ショック死」した理由が、お笑いのネタそのもの。

 

64.「ロンドン夜話」 マージェリー・シャープ

菓子屋を営む老女が何者かに撲殺された。たまたま、その菓子屋が見えるコーヒー・スタンドに立ち寄ったハリディ氏はそこで4人の客と同席する。事務員ふうの穏やかな小男、景気のいい煉瓦工、知的で紳士然とした中国人、よく喋る浮浪者。彼らはさかんに殺人事件について論じあう。

 

ここで〈ネタバレ〉です。

 

犯人は想定外。アリバイ崩しの着想もいい。ただしアリバイが崩される前に、ある人物の「ばあさんは、金の近くにゃいなかったんだ」という発言で犯人が分かってしまう。

 

どうも客たちの顔ぶれが異色なので全員が捜査官だったらよかったのに、と思ってしまった。

 

65.「サンタのパトロール」 レックス・スタウト

綿密な構成、練り上げられたプロット、それゆえに、いかにも「つくられた」感を覚えずにいられない作品。もちろん推理小説の醍醐味は、そういう仕掛けにあると言うこともできるのだが、やはり短編であるせいか「凝ってるなぁ」という印象。

 

登場するのは、ニーロ・ウルフではなく新人警官のアート。彼が通報を受けて現場に駆けつけてみると、そこは通販会社で従業員の女性が指輪を盗んだ、と社長が息巻いていた。社長が妻へのプレゼントとして買った指輪は美しく、その指輪を指にはめてみたりしていた従業員の女性に疑いをかけたのだった。アートはまだ発送されていない梱包済みの箱に目をつける。

 

〈ネタバレ〉です。

社長は従業員の女性に指輪を見せびらかしておいて、彼女が出かけているスキにそれを愛人宅へ発送するべく梱包した。そして「指輪がない!」と騒ぎ立てたのだった。ついでに言えば、社長は抜け目なく盗難保険金をせしめようと保険会社の職員まで呼びつけていた。それちょっと、やり過ぎですよね。

 

とはいえ、こんな陰謀に巻き込まれたら濡れ衣を着せられる可能性もありそうです。つくづく「いくらでも罪をでっちあげることができる」と感じる話でした。

 

名探偵ニーロ・ウルフの生みの親として知られる作者レックス・スタウト。何て格好いい名前!ニーロのシリーズはハードボイルドっぽい(本格っぽくもある)けれど、この作品は題材がクリスマスということもあって、軽妙で愉しい雰囲気も漂っている。

 

66.「神隠し」 ジュリアン・シモンズ

家族連れでにぎわう休日の遊園地。デッキチェアに寝そべっていた男が刺殺された。犯人は褐色の上衣を着た小男。たまたま遊びに来ていたフランシス・クウォールズは、忽然と姿を消した殺人犯を追う。犯人は袖に返り血を浴びているらしい。しかし誰もそれらしい男を見かけた者はいない。

 

これも短編すぎるので〈ネタバレ〉はしない方がよさそうです。

 

それにしてもフランシス・クウォールズが何者なのか最後まで分からないし、犯行現場と「パンチ・アンド・ジューディ」や「茶店」などとの位置関係もよく分からない。

 

プロットはよいのだが、登場人物や舞台設定が書き込まれておらず、筋書き中心で平板な印象。もう少しクウォールズやギャリティ警部、目撃者のミス・スレイタ―などの人物描写があったら、生き生きとした作品になったのではないかと思う。

 

 

〈最後のミニ・ミステリ〉

 

67,「決め手」 アントニー・バウチャー

いよいよ、このミステリ傑作選最後のミステリーとなりました。

舞台はアメリカ。カリフォルニア大学とスタンフォード大学が対戦するフットボールの試合は大きな賭金が動く「ビッグ・ゲーム」だった。そこでカリフォルニア大学の名選手二人がパスを3度もミスしてしまう。なぜそんなことになったのか、チームの指揮者シーリーは「二人の選手と話をする」と語った後、何者かに殺されてしまう。

 

これも超短編であり、〈ネタバレ〉はしない方がよさそうです。

 

申し上げられることは最後のミステリーにふさわしいオチで、この作品がアンカーに選ばれたのも頷けます。ま、小噺のようなオチですが、そこへ上手く持って行った展開に拍手。

 

最後に私なりの「傑作選」をおこがましくも書かせていただくと…、

 

「幽霊屋敷」

「パール。バトンはいかにして誘拐されたか」

「殺人のメニュー」

 

が印象に残りました。

どれも「ミステリー」といえるのか微妙な作品なのですが。

 

「犯罪モノ」としては、着想にすぐれた作品として

 

「百万にひとつの偶然」

「生きている腕輪」

「検死審問」

「牧師の汚名」

「信用第一」

「最善の策」

 

を挙げたい。

笑える作品としては、

 

「詐欺師カルメシン」

「わたしの懐中時計」

「シカゴの夜」

 

ですが、もうダントツにベン・ヘクトが好きです。

不気味さが醸し出されている作品としては、

 

「殺すか殺されるか」

「開かれた窓」

 

でしょうか。「殺すか殺されるか」は、ある意味「笑える」作品でもありますね。

あと、異色なのは

「壁の中へ」

「川べりの犯罪」

 

「壁の中へ」はブラッドベリラブクラフトをふっと思い出してしまうところがあります。

「川べりの犯罪」はミステリーというよりも、生きることに疲れた大人の哀しみのようなものを強く感じてしまいました。

 

最後まで駄文にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。

お読みいただき感謝で一杯です。